保存機(詳細不明),ツポレフ104.チェコ、リトミッシェル郊外の公園にて.2002 (街歩きをしていたら小さな公園の片隅に置かれていました。かつては売店に使われていたようですが、その後放棄され荒れ放題でした) Airline and register are unclear .Tupolev104.at Litomysl city.Czech 2002 |
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【凡例】※全て判明分のみ記載 |
ツポレフ 104
Tupolev 104
Tu-104 ツポレフ104は、ソビエトのツポレフ設計局が最初に開発したターボジェット双発旅客機です。営業運行したジェット旅客機としては、イギリスの コメット(1949年に初飛行)に次ぐ2番目の機体で、その存在が西側諸国に知られるようになったのは、1956年にソ連最高指導者ニキータ・フルシチョフがイギリスに同機で訪問した時からです。この時、イギリスではすでにコメットがあったのですが、この時コメットは、謎の墜落事故が相次ぎ、営業運行停止に追い込まれていたときでしたので、この機体の存在は、西側にものすごい衝撃を与えました。とはいうものの、いきなり旅客機を製造したわけではなく、軍用の中距離爆撃機Tu-16をベースに作られていたため、客室内に段差があり、容量が狭いなど、様々な制約がありました。それでも最高速度は950km/h、巡航速度は750km。座席数は最大100という当時とすれは、かなり優秀な機体でした。1956年から直ちにアエロフロートの主力旅客機となり、翌57年9月には、モスクワのブヌコボ空港からアメリカのニューヨークに飛行し、ソ連のジェット機開発における優位性を示すものとして西側にも大きく報道されたようです。タイヤや空力ブレーキ性能が現在ほど優れていなかったので、着陸時には減速用のパラシュートを使うことも多かったようです。