アエロフロートロシア航空(ロシア).ツポレフ Tu-144S(CCCP-77106).モニノ空軍中央博物館.モスクワ.ロシア2019 |
|
機種部分 | |
繊細な作りに感じます | |
横のパイロット窓。視界の狭さはコンコルド以上でした。 | |
カナード翼(補助翼)がよく見えます。 (上部の細長い部分です) |
|
機種付近全体。 | |
・・本当はもっと近寄りたかったのですが、これ以上いけませんでした。 | |
美し全体像。 | |
ここはかなり直線的ですね。 | |
尾翼部分。 | |
全体がようやく見渡せる位置。 | |
それなりに大切にされていることを感じます。 | |
これを見るために、ロシアをレンタカーで走りました |
|
【凡例】※全て判明分のみ記載 |
ツポレフ 144 (チャージャー)
Tupolev Tu-144 (NATO Code name:Charger:)
Tu-144 ツポレフ144は、ソビエトのツポレフ設計局が開発した超音速旅客機です。あの有名なイギリスとフランスが共同開発した超音速旅客機コンコルドと形は酷似していますが、ソビエト連邦 ツポレフ設計局製の全く別の機種です。初飛行はTu-144が1968年12月31日と、コンコルドの初飛行1969年3月2日に比べ、3ヶ月ほど早く、「世界最初の超音速旅客機」の栄誉に輝きました。機体の全体デザインはほとんどそっくりに見えます。大きさやエンジンの配置なども非常によく似ていて、西側諸国から「コンコルドのアイディアを盗用したコンコルドスキー」などというあだ名をつけられていました。しかし、冷戦真っただ中だった当時とすれば、ソ連だけで、西側諸国に対抗する様々な期待を開発しており、その他の機体も、それなりに模倣されているものばかりでした。乗務員は3名(コンコルドと同じ)。乗客は120〜130名程度とコンコルドよりやや多い定員です。カタログスペック的に見ればTu-144の方がはるかに優秀です。全長も(改良型のTu144Dは)5mほど長く2クラスが作れました。胴体の幅も太いので、コンコルドの2+2席に対して、2+3=5席配置ができました。
巡航速度はTu-144が2300km/hに対してコンコルドは2145km/h。
最高速度はTu-144が2430km/hに対して、コンコルドは2368km/h。外観上の最大の違いは離着陸時に機種付近から出る補助翼(カナード翼)でしょう。これによって低速安定性と、離陸時の安定度が飛躍的に高くなったそうです、という感じにツポレフ設計局の技術の結晶ともいえるこの機体。とても優秀な機体でした・・・公表スペックは。
ただし。実際の機体は非常に厳しいものだったようです。最大の問題はエンジン、そして航続距離でした。SSTは超音速を実現するため、非常に強大なエンジン出力を必要とするのですが、そのために莫大な燃料を消費していきます。コンコルドもそれで常に批判されてきたのですが、このTu-144は搭載しているクズネツォフNK-144(Kuznetsov NK-144)エンジンが非常に低効率で、マッハ1.6以上にしようとするとアフターバーナーが必要になほど。(アフターバーナーとは、簡単に言うとエンジン出力を補強するため、エンジン自体の燃焼に加えさらに高温の排気ガスの中に燃料を投入する装置のこと。構造は比較的簡単で補助的に高出力を得られるが、燃焼効率が恐ろしく悪く、基本は戦闘機などに用いられるのみ)。コンコルドにもアフターバーナーはついていましたが、通常の運行域での使用はなく、明らかに非効率的なエンジンでした。結果的に航続距離は、コンコルドの6200kmに対して、3000km程度と、約半分でした。
それでも、世界最初の超音速旅客機であり、ソビエトの技術力を西側諸国に大いに示した機体でした。
華々しくデビューしたTu-144でしたが、燃費の問題だけでなく、致命的な事故を2回起こしてしまいます。
1回目の事故は1973年6月3日。フランスのパリ航空ショーに参加したTu-144S(SSSR-77102:量産型2号機。製造順から言えば3号機)が、展示飛行中にパリ郊外のル・ブルジェ空港北側の村落に墜落し、乗員6名と地上の住民7名が亡くなりました。墜落原因は急激な旋回飛行によるカナード翼破損と言われています。
2回目はその5年後。1978年5月23日に、燃費向上を目指し、エンジンをコゾレフ RD-36-51Aに換装したツポレフ Tu-144D(CCCP-77111:製造順でいえば12号機。新エンジンのTu-144Dの初号機)が、モスクワ近郊で試験飛行中に火災が発生し不時着。乗客はいませんでしたが、乗員8人中2人が死亡するという事故を起こしてしまいました。この機体は5回目の飛行であり、総飛行時間はわずか9時間だったそうです。
この後、イギリスの技術供与などもありましたが、結局は運行停止。時代の波に飲み込まれ、過去の機体となってしまいました。結局、旅客運行を行ったのはわずかに102便。最終な生産数は原型機1機、量産型のTu-144Sが10機、性能向上型のTu-144Dが5機の計16機のみでした。
-----------------------------------
・・と、飛行機好きなら絶対に気になるTu-144. この幻のような機体を見られる確実な場所は、世界に2箇所。
1つはドイツ連邦共和国のバーデン=ヴュルテンベルク州、ジンスハイム市にあるジンスハイム自動車・技術博物館(Auto- und Technikmuseum Sinsheim)。
もう一か所がモスクワ近郊のモニノ空軍博物館(
Центральный музей Военно-воздушных сил РФ / The Central Museum of the Air Forces at Monino)でした。
自分は2019年12月から2020年1月にかけて、時間をつくり、旅に出ることができることになりました。(新型コロナウイルスが流行る寸前でした。自分が帰国した時は、「中国の一都市で薬が効かない感染症が流行り始めている」なんて話題が少し聞こえてきた程度でした)
この時、ロシアに少し寄ることができたので、「どうせモスクワに行くならあこがれだった、モスクワのモニノ空軍博物館に行きたい」と考え。かなり無理をして現地を訪れてきました。というのも、モスクワ中心部から40kmほど離れていて交通の便が悪いモニノに行くのに、あまりにも時間的余裕がなく、最後の手段として冬のロシアをレンタカーで走ってしまうという暴挙に出ました。しかしやはり大渋滞に引っ掛かり、到着はすでに日暮れ時。かろうじて閉館時間ギリギリで入場はできましたが、屋外はすでに真っ暗。足元すらおぼつかない中の写真撮影だったので、きれいな写真は撮れませんでしたが、美しい機体を生で見たときは感動してしまいました。(フルサイズ一眼で撮って、コントラストだけいじってなんとかみられる写真にしています)。
コンコルドもじっくり・しっかり見たわけではないのですが、後部尾翼の形状やランディングギアなどは明らかに違います。カナード翼の収納個所も意外とはっきりしていて、補助翼が思っていたより大きく、空力的にも重要だったことを感じました。そしてやはり、全体の造形は非常に美しく、均整の取れた形をしていました。
モニノ空軍博物館は、旧ソ連時代のソビエトの航空技術の高さを誇る素晴らしい機体が勢ぞろいしている”聖地”なのですが、完全に野ざらしで、メンテナンスのあともほとんど見られず、貴重な機体たちはゆっくりと朽ち果てている感じでした。一航空ファンとしては、クラウドファンディングをしてもいいから応援したくなったのですが、このままですと近い将来、この機体も見られなくなってしまうことを危惧します。そんな思いもあって、このページは同一機体を沢山掲載してみました。